知らない番号 03




鮮やかなオレンジ色が道や建物を照らす、本来の色よりも少し陰影を強くした町の風景。夕方の日差しは眩しい。痛いくらいに照らしてくる強い日差しに思わず顔を顰めた。不意に感じる視線に、ともに歩く人を振り返ればふわりと柔らかい笑みを浮かべていた。

「今日は、ありがとうございました」
「いや、礼を言うのは俺のほうだ」
「でも…、全部奢ってもらっちまってるし…」
「気にすることはない」

至極嬉しそうな表情でそう言われてしまうと言葉が出てこなくなる。首の後ろ辺りに手を伸ばすと、彼が更に笑みを深くしたのに気づいてしまった。怪訝そうな表情で見つめれば、眉を下げて困ったように微笑んでくる。

「おかしくて笑ったわけではない。微笑ましかったんだ」
「微笑ましい…?」
「困ったときに、うなじに手をやる確立が高いな…視線の逸らし方もなんパターンかあるようだ」

まだ確立をはじき出すには足りないがな、と付け加えてもう一度微笑みかけてくる。

表情の乏しい人、そんな印象はすっかり払拭された。待ち合わせ場所で緊張した風に待っている様子。
自分の姿を確認して安心したように息をつく様子、自分の表情や行動に一喜一憂する様子。
西日で橙に染まる彼を盗み見ながら、そんな風に思い出して今日一日を振り返ってみる。

動物を被写体に活躍する写真家の写真展。
落ち着いた雰囲気の料亭で食った蕎麦。
スポーツの専門書が豊富に揃っている大型の本屋。
母や弟への土産にちょうど良さそうな雑貨や菓子を扱う店。

行く先々で、彼が自分にどれだけ優しく丁寧に接してくれたか。
そしてその度に、俺の中で生まれる罪悪感に胸が締め付けられた。

駅の改札口にまでたどり着く。不意に向かい合うように、体ごとこちらを向く姿に少し驚いた。

「また、誘っても…いいだろうか」
「………」

思わず、視線を逸らしてしまった。少しの後悔が生まれる。

不意に肩に触れる手の感触。思わず顔を上げてしまえば、自分を見つめる瞳を見つける。
今日、はじめてその双眸をしっかりと確認する。普段は穏やかな印象を与える面立ちは、目を開けばまるで正反対な印象を与える。冷たいような印象を覚えるほど鋭いのに、その奥に熱いものが宿っているのが分かる。離せなくなる力を持った強い瞳。

「俺は、別に構わない」
「え?」
「俺と誰を重ねようとも、俺は構わない。
お前に辛い思いをさせているのならば、…それは俺にとってもあまり好ましくない。
しかし、その辛さよりも、お前に対する衝動を抑えるほうがつらい。
だからと言ってはまるで自分本位だが…お前と過ごす時間を、俺に与えて欲しい。」
「………」

肩をつかむ手とは逆の手が、彼の自らの胸の辺りをぐっとつかんでいるのが視界に入った。
沈黙が続く。人が途切れることがない改札の近く。いくらでも頭が回りそうな彼がこうしていることはきっとらしくない姿なのだろう。なぜここまでするのか。力いっぱいに服をつかんで僅かに震えている手から視線が外せない。

吐息を零すようにふ、と息を零して彼が笑みを浮かべた。
顔を上げれば、眉を下げた少し情けないような笑み。

「恋、煩いなんだろうな…この苦しさは」

眼を見開いて、随分間の抜けたような表情になっていることは承知で、彼を見た。
恋、煩い…?

「っく、…ははっ…ははっ」

はじけたように、腹の奥から湧き上がるもんがあって、慌てて口を手でおさえた。肩を揺らし、体を曲げてこれでもかと久しぶりに声を上げて笑ってしまう。ついには膝を曲げてしゃがみ込んでしまったが、おさえ切れなくてそれでも笑い続ける。俺がしゃがみ込んでから、少しして彼もしゃがみ込んだ。自分よりも高い身長をさらに自分よりも曲げて覗き込んでくる。戸惑った表情には見覚えがあった。

「…っ、く…はは、はぁ…予想外、ですか?」
「あ、ああ」
「俺も…こんな笑ったの久しぶりです」
「………」
「アンタ、ロマンチスト、っすね」
「………そう、だな…ああ、そうだな」


やっと落ち着き始めた息を整えようと大きく息を吸って、そして吐く。俯いて、無意識に後ろ髪をくしゃりと撫でながら、もう一度ふう、と息を吐いた。


「アンタは、やっぱ…あの人に似てて」
「うん」
「だからかわかんねぇけど…なんか安心しちまって」
「…あぁ」
「そんな自分が許せねぇ…って、思う。あの人を、好きだったこととか、忘れたくねぇ。それで苦しいなら、その苦しみも全部ちゃんと残しておきてぇ。
けど、アンタがそれでもいいって言ってくれるなら、アンタの頼みは…聞ける」
「…ああ」
「それに…、それはアンタのためじゃなくて。
やっぱアンタは、あの人じゃねぇから…アンタの気持ちはアンタとちゃんと向きあって答えてぇ。じゃなきゃ、失礼だって俺が思うから、だ」


わしゃわしゃと髪をかくが、すぐに元に戻ろうとする髪が指を撫でる。
その指を、彼の掌が覆う。顔を上げれば、満面の笑みに出会う。
待ち合わせ場所に来たときに見たような安堵の表情。


「ありがとう」



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